映画から学んだこと

私が日々の暮らしのことや感じたことについても少しお伝えします。
私もクライエント体験がありますから、
初めて、カウンセリングにいく時には
カウンセラーがどういう人だろうかと不安になる気持ちがわかります。
カウンセラーの美野直子という人間について、少し知っていただけるように
私の日頃の暮らしのこと、感じたこともこれから少しづつお伝えします。
今日は映画の話です。
私の一部は映画でできていると思うくらい映画が好きです。
一人の人生は1回きりで自分の人生で経験できることは残念ながら限られています。
自分の現実世界での体験は、幅が狭かったりします。
それで、映画なんです。
映画の物語、登場人物の生き方は自分では経験していない
もう一つの世界を味わせてくれます。
たとえば 昨日みてきた映画は

ピアニストのフジコヘミングの記録映画
「ブジコヘミングの時間」をみてきました。
今日はその映画について書いてみます。

フジコヘミングは
ピアニストとしてのきらめく才能、可能性がありながら、

戦争や国籍のないことや
病気で耳が聞こえなくなったりしたことで
大きな挫折を味わい続け
長いこと表舞台にでることができませんでした。
フジコはひっそりと
ピアノを、教えながら欧州を転々として生きていました。
もう、この世では私の出番はないだろう
私は天国でリサイタルをする!
そんな思いで、でも一人毎日ピアノを弾き続けていました。
それが、60すぎて突然、その彼女の人生も含めて
その才能が認められてピアニストとしての名声と活動の場を
あたえられ有名な人気ピアニストになったのです。
それから18年、
フジコはどうしているのか?
カメラがその日常を追った記録映画です。

80歳をすぎても
フジコは情熱をもって、ピアノを弾き続けていました。
その音楽は更に奔放で魅力のあるものになり
世界中で演奏していました。

そして、なんと彼女は世界各地
パリ、ベルリン、アメリカ、京都、東京に
五つの家をもっていたのです。
世界中が彼女の拠点でした。
それぞれの地に友人がいて
イヌやネコを飼っていて
好きな服をきて
部屋を飾り、祈り
そして後はひたすら、ピアノを練習する日々で
コンサートを続けていました。
「ピアノを弾くために生まれてきた!」
という人生を、全うしていました。

両親の国際結婚という環境
厳しい先生だった母からのピアノの教え
フジコを苦しめたこともあったそれらが
フジコに伝えたものを
フジコは生涯をかけて努力して
花開かせたんだと思い
胸が熱くなりました。

この映画をみることができたのは 幸運でした。
この映画のフジコの生き方から、フジコのピアノから
新しい力をもらいました。

フジコが70近くで再出発したこともすばらしいです。
波乱万丈のフジコの人生がフジコの音楽を更に魅力的なものにして
人々をひきつけるのでしょうか。

この映画をみた後での個人的な感想としては
日々、失っていくものも多いけれど
それはいさぎよく手放しても
そこに新しいものが入るスペースができたんだと思えるようになりました。

映画に深く入り込めればそこから得るものは大きいですね。
人生の学びができました。

カウンセラーとしては

自分がここまでと思っていたところから、自分が知らない自分の夢や可能性につながるお手伝いもしています。
人の生き方は本当に多様性にとんでいます。
未知の自分にあうにはプロセスワークも入り口になります。

プロセスワークのセッションもおすすめです。

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